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「明治日本の産業革命遺産」の旅、北九州編、その2

二日目は、熊本市にある三池炭鉱です。登録地は「万田坑」、「宮原坑}、「三池港」、「鉄道施設」などです。

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行ったのは「万田坑」です。ここは当時の施設が残されているのが特徴のようです。左が鋼鉄製の第二竪坑櫓、右がイギリス積み煉瓦造りの巻揚機室になります。

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第二竪坑櫓の巻揚機室は二階建てで、中に入ることも出来ます。外国製の大きなウインチが今でも当時のまま残されています。ほかにもたくさん機械があり狭いため、ヘルメット着用で入る人数も限られるようです。
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建物の裏側からは第二竪坑に入ることもできます。ただし、竪坑は埋められていますが、そこから運搬するための施設や竪坑に入るための施設が残されています。Dscn7549

隣に建つ事務所はイギリス積みの煉瓦造りです。

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第二竪坑へ繋がるトロッコ道の入り口とトロッコ、そして竪坑に入るためのゲージが並べておいてあります。

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これは煙突の跡(土台)です。炭坑節の「月が出た出た月が出た あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろう」の煙突です。高い煙突も残されている所もあるようですが、
やはり危険なので残すのは大変なようです。
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山ノ神祭祀施設は砂岩、溶結凝灰岩製です。炭鉱は危険なため、山の神に安全を祈るのも大切だったのでしょう。
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入り口にある万田坑ステーションには、当時の万田坑の模型が展示されています。写真に写したのは左の奥の二本のようです。

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お昼は「長洲きゃあめし弁当」でした。、「きゃあ」とは、「あさり貝」のことで、ツアーではなかなか食べられないとか。メインは有明海産のあさりで作った「きゃあめし」で、おがずに「的ばかいだご」と長洲産の季節の材料をふんだんに使ったおかずがぎっしりの懐かしい郷土弁当だそうです。

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弁当は熊本から長崎へのフェリーの中でした。フェリーでは餌をほしがるカモメの群れがついてきます。おっと、かわいいと思ったらほとんどユリカモメでした。
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長崎では、平和公園から資料館あたりを解説を聞きながらの散策です。有名な平和公園の平和祈念像は今回初めてです。天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めているそうです。

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ここが原爆の爆心地です。爆発の威力で少しへこんでいます。

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爆心地近くにある「被爆50周年記念事業碑」です。偉大なる母の慈悲心と、永久に平和であれと念じ、あたたかく深く母の胸に眠る傷心の子供の姿を配することによって日本の未来を表現しているそうです。「黒いマリア像」とも言われているらしいです。

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こっちはその隣にある、浦上天主堂の側壁を移築した物です。浦上天主堂は爆心地から500mの場所にあり、長崎にあった幻の原爆ドームです。

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資料館は、その頃の様子を再現してあり、正面が浦上天主堂です。ツアーではとっても珍しいことですが時間が余ったため散策後の自由時間が1時間半ほどありました。そのため、のんびりと資料館を見学しましたが、広島と似ていますが悲惨さは少し控えめに展示しているらしいです。

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夕食は中華です。

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長崎らしいのは皿うどんがついたことくらいです。
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宿は長崎の中華街のすぐ隣でした。だったら、自由食でも良かったのに。それにしても、長崎の中華街は横浜とは比べものにならないほどこぢんまりしています。

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